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「学校に行かなくてもいい」という言葉ほど、受け取り方が違う言葉はありません。
前回の記事で、私は親の逃げにしてしまったという記事を書いたところ、先生を悩ませてしまったかもしれません。これは、先生にお世話になる前のことなので気にしないでくださいね。

 

この言葉は、聞く時期によって様々な反応を起こします。時期によるとらえ方と、そこから「やっぱり学校が必要」と思うきっかけになった事を聞いてください。

 

不登校の初期

 

何がなんだかわからない時期に「学校に行かなくてもいいんだよ」と子どもには言ってやりたいです。でも親である私はとうてい納得できる言葉ではありませんでした。

それでも、毎日見る子どもが苦しんでいるのもわかります。

 

学校に行けないくらいの辛い気持ちだという子どもの状態を理解することが大事なのだと今ではわかりますが、なかなか難しいです。

我が家は、もちろん息子に問いただしました。でも、きっと息子自身もわからないけど、なんとなくしんどくて辛いとしか言えなかったのかもしれません。

 

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不登校が日常になる時期

 

親も、そろそろ無理に学校へ行かせるのは無理だと気づきます。だからと言って、諦めることもまだできない時期でした。

友人に相談すると、必ず「学校へ行かなくても大丈夫だよ」という返事が返ってきます。でもその言葉でどれほど不安になるかわかるでしょうか。

 

学校に行けないのはわかったけど、いったいいつまでこのままなんだろう。
本当に何もしなくていいんだろうか。
そんなことが、気持ちの中でうずまいていました。他人に話すにはデリケートな問題すぎるのかもしれません。空気が重くなるので、そのうちに友人にも話すことはしなくなりました。

 

この時期が続くと、親の心も疲れてきてしまいます。そうなると、「学校へ行かなくてもいい」という言葉を逃げに使ってしまった私でした。

今ならわかります。
この時期、子どもに対しては、何もしなくてもいいかもしれません。でも親も一緒になって不登校という問題から目をそむけるのは間違いだと思うのです。

 

  • 子どもの様子はどうなのか
  • 学校以外の選択肢には何があるのか
  • 子どもと話をできるようになっているか
  • 子どもは、学校のことをどう思っているのか

どれも、当時の私には答えることができませんでした。それほど息子のことがわからなくなっていましたし、会話もできなくなっていました。

 

息子の場合は、学校は行くものという意識があり、学校以外の場所はあまり考えていなかったように思います。放課後だけでもとか保健室登校なども、学校から提案してくださいましたが、息子から返ってきた言葉は、学校へ行くならちゃんと行くという言葉でした。

学校が必要と思うきっかけになったことは

 

つい、学校へ行けないんだという現実から目をそむけがちだった私が、ある出来事によって、もう一度息子の不登校と向かいあう決心をしました。

それは、夕食の会話です。
この時期も、夕食は家族で食べることができていました。でも、会話がおかしいんです。
息子と会話が続かない。息子がしゃべりたいことをしゃべって、一方的な状況になってしまいます。

これって、ちょっとヤバイのでは?と思えるほどでした。ネットやゲームをしていた影響かもしれません。

  • ある物事に対して一方的な意見しか受け付けない
  • 物事をいろんな面から見ることができない
  • 話を一方的に終わらせる

こんな状況では、学校で同年代の子どもと仲良く会話をするということは難しいのではと思いました。このこともあり、この子は家で1人でいてはいけないと親のカンで思ったのでした。

 

新しい方法を探す

 

中1の6月からの不登校は続いていました。

2月ごろから適応教室に行くようになっていました。それでも、自分が行きたい時だけ行くという行き方で、親としては不安でした。
親も、適応教室ではダメだと感じ、フリースクールや私塾などを検討し始めます。復学支援を検討し始めたのもこの時期でした。

 

中2の新学期に登校しますが、2日目に息子が泣き叫んで撃沈でした。
もうこれは、親では無理だと思い、ファーストフォームエデュケーションに連絡をとりました。

 

支援を受けて気づいたこと

 

支援を受けるまでは、息子の不登校は息子が原因だと思っていました。
でも、親にもやっぱり原因はありました。

母である私は、自分の中の基準という物が大きく、息子もその基準にあてはめようとしていたと思います。父親も、言葉で説明するということが苦手なタイプなので、つい怒るということがたくさんありました。

そんな私達夫婦でしたが、大人になって性格を変えるということはとても大変です。それこそ、大きな事件がありやっと考え方を変えることができるといえます。

 

息子の不登校という事件によって、私の考え方も少しは柔軟になったでしょうか。
いい大人なので、面で向かって、あなたの性格はこういう所が悪いともし言われても素直に聞いたとは思えません。でも、息子の不登校という問題を解決するという目的に向かって支援の先生方が示してくださったあれこれは、自然と私の中で自分のこういう部分がダメだったんだと気づかせてくれました。

 

最後に

 

「学校に行かなくてもいい」という言葉について、当時の私の気持ちや状況を思い出してみました。

もちろん、学校がすべてではないので、この言葉で救われる家族もいると思います。それでも、子ども自身が学校へ戻りたいと少しでも思っているのなら、学校へ戻るための方法を探すことも諦めないでほしいなと思います。