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不登校を経験して、子供との距離の取り方を考えることが多くなりました。

近すぎると過干渉となりますが、離れすぎもいけません。

そんなことも、不登校を経験してわかることの一つでした。




 

子供との距離の取り方

 

以前に、京都の大原に1泊で友人と行った時のことです。
私が新卒で入った仕事場の同期の4人で、○十年以上ぶりの再会です。それぞれ辞めた時期は3年目・5年目・6年目と違います。
子供がいる人・いない人、色々です。でもみんな今も仕事はしています。

 

その中で、中2の女の子のお母さん(A子)がいます。A子は実の母と同居で、ご主人ともに行政で働いています。
彼女は仕事が忙しくほとんど家事ができない。みかねて母がやってくれる。お弁当も娘が自分で詰めていく。と言っていました。

 

「子供に関しては何もしていない」と言いう彼女。

少し前の私なら、「そんなことじゃダメよ。勉強は?クラブは?」と他人の家庭のことにまで口を出していました。
自分の方法以外は認められなかったんです。

 

でも息子の不登校を経験して、彼女の場合子供に手をかけないことが良い状態なのだと見ていてわかります。娘さんも、朝は自分で起きて登校されていますし、家のことも手伝っておられるようです。

それもA子が自分がするべきことはしっかりとし、できないことは家族に頼み、素直に感謝できることの結果なのだろうなぁと感じました。

自分なら、やらなくていいことまで私がやらなくちゃと手と口を出していたなと今ではわかります。

でも以前は、これが全くわからなかったんですよね。

子供との距離の取り方について、考えさせられます。

 

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極端でなく中庸が大事

 

息子についていえば、あまり率先してしゃべるタイプではありません。ついこちらから話しの糸口をつかもうとしゃべってしまいます。
それが、息子にしたらうるさい・めんどくさいとなるようです。

 

それならば、あまり口を出さずに見守ろうと思っていると今度は息子のほうから近寄ってきます。いったいどっちなん?という感じです。

 

中2の頃の息子は、思春期に入っていますのでいつまでも小さな子供扱いではいけないと思っていました。でも男の子ということもあるため考えていることがいまいちわかりません。

 

特に朝の登校前はこちらから何かいおうものなら、すごく不機嫌な顔で怒っています。

支援の藤本先生に伺った時に、「もうほっといていいですか?」と聞いたこともありました。
さすがに「極端ではなく中庸が大事ですよ」といわれてしまいました。

 

以前藤本先生のブログでコメントさせてもらった時のお返事で、とてもぴったり来る言葉をいただきました。(引用させていただきます)

 

返答
彼らが思春期にさしかかる時期が一番理解しにくいと親が感じる時期かもしれません。
彼ら自身も自分を理解できていなかったり、まだ表現方法を見つけていない時期だからでしょう。
特に難しく感じるのは、親が寄ってくることを避けたくなる時期でもあるので、変に距離をとってしまってその距離を縮めにくくなってしまったり、嫌がっているのに無理に近づきすぎて反発をかったりととても距離感が難しいので、わからないと投げ出したくなる親の気持ちもよくわかりますよね。

まさにこの心境です。でも投げ出しちゃダメですよね。

 

そして高2の娘の場合は、又違うと感じさせられます。

娘に対しては同性ということもあり、ついつい自分の考え方を言いたくなります。心のどこかに、娘が母親になった時に伝えたいと言う思いがあるのでしょうか。

 

今まで娘には手や口を出しすぎていたのだと思います
娘 「お母さん、どうしよう〜」
母 「こうしたら」
という図式が出来上がっていました。

それが、息子の不登校で私の意識が息子にばかりいき、娘の手を放した形になっていました。

 

支援を受け始めて、娘への対応も変えました。
娘への口出しをしないように対応すると、娘はなんで答えてくれないの?と不満に感じるようです。
そして、『お母さんに言っても答えてくれないし』 となってしまいます。

我が家の子供との距離をみつけることが、これからの私の課題でしょうか。

 

 

不登校と母親の仕事

 

 

我が子が不登校になった時、母親は仕事をどうするか?誰もが悩まれたのではないでしょうか。

 

我が家も、息子が不登校になった時、私はフルタイムで仕事をしていました。

朝は朝で自分の出勤時間が気になります。このため、最初は息子が今日は休むというと、
「わかった。じゃあお母さんは行ってくるからね」と。

 

朝起きていないと、いったい何時に起きたのかわからず、仕事先から何度も電話をいれますが、息子はでません。昼間は何をしているのか検討もつきませんでした。

 

一度息子に「昼間寝てるのはさみしいから?」と聞くと「そうや」との返事に言葉がありませんでした。

 

昼間親の目が届かないということはお昼御飯の問題もでてきます。
息子に今日のお昼は、コレといっておいても、自分で好きなものを作って食べていることもありました。

 

ネットで情報を集めていた時も、『子供の一大事なのだから仕事にいってる場合じゃない』といった趣旨の所もありました。
その考え方も否定できません。

 

でも、息子が不登校になったのは13才。
あと5年もすれば、なんらかの形で違う道へ進んでいくだろう。じゃあその時親の私はどうしているだろう。
こう考えると家でずっといることがたまらなくイヤでした。

 

息子が立ち直ってから仕事をすればいいじゃないかとも思いましたが、今度は私の年齢がたちふさがります。
息子が新たな道を歩き出した時に、私は何をしているのか、何も手の中に残らないのではないかと考えると、『仕事をやめない』選択をしました。

 

もちろん仕事を続けることで家族にしわよせがいきます。家事も完璧にはできません。昼間の息子のことも気になります。
問題から逃げるために仕事を選んだのかもしれません。

 

仕事を続けることは、母親のわがままといわれるとその通りかもしれません。
でも、仕事を続けることで多少のお金は使えます。

公共の機関はお金はかかりませんが、息子に直接働きかけてくれる所はありませんでした。

この仕事をするという選択をしたことで、問題解決のためにお金を使うという道があるのではないかと考えました。
多少のお金はかかっても、息子の時間を無駄にしないのならそれも一つの方法ではないかと。

 

もし仕事をやめて家にいてれば、きっと息子への口出しが多い私はもっと息子を追い詰めていたかもしれません。
自分が安心したいがために、息子の一挙手一投足まで指図していたのではないでしょうか?

 

この時の決断が、我が家の家族としての新しい一歩だったのだと今感じています。