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息子が不登校になったのは、中学1年の時でした。
今から10年前の2007年でした。

不登校は家庭によって違います。我が家対応が正解でない場合も多いですが、もし、同じようなご家庭がありどなたかの参考になるなら嬉しく思います。

最初は、支援機関のことも知らず、不登校のことも知らない状態です。当時の様子は、初期のブログで公開していました。今回それを、記録の意味も込めて、こちらに移しておこうと思います。

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中学1年4月
 

中学入学
小学校6年生の3月はとてもつらそうな息子の姿がありました。でも親の私は何も気づきません

4月の中学校入学も特に心配した記憶はなく、息子はテニス部に入部します。

小学校6年生の時に、一人で自転車にのって10km・20kmと遠出していたためか、太ももが発達し体格も大きくなってきました。
ただ骨の発達が太った体に追いつかず膝の痛みを訴えるようになります。

このことでクラブについていけなくなり、体育の授業を嫌がるようになりました。

4月は宿題の忘れが多く、中学校の方針で忘れた次の日の朝8時までに先生にみせにいかねばなりません。

朝起きるのが苦手な息子は、
【忘れ物をする→朝早く行かないといけない → 間に合わないから休みたくなる】
この繰り返しだったようです。

しかし4月は息子なりにがんばろうと思い欠席は1日でした。

  
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中学1年5月

不登校のはじまりは
5月の初めての定期テストの直前に祖父が亡くなりました。初めての近親者の葬儀でした。

テストを受けてそのあとに葬式という忙しい日。翌日から朝、「しんどい」といいはじめます。朝8時に家を出ないと間に合いません。時間が近付いても息子は起きてきません。
母 「今日は学校どうするん?」
息子 「休む」
母 「わかった」
学校へ体調不良と電話していました。でも昼には「お昼何食べるの?」と仕事場に電話してきます。
夕方には元気になっています。この時、まだ私は不登校とは思っておらず仕事に遅れるから早く白黒つけたいという気持ちが優先していました。朝の受け答えも意味なく休むことをうけいれているものでした。

5月は6日間の欠席でした。

  

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中学1年 6月 

五月雨登校①

6月に入ると宿泊学習があります。この後2日続けて欠席しました。
宿泊のあとだから疲れたのだろうと思っていましたが、徐々に五月雨登校になっていきます。1日行って次の日休み、その次の日は登校し又2日休みといった状況でした。6月中旬から親もおかしいと感じはじめます。

スクールカウンセラーの先生に話を聞いてもらいました。息子にも一緒に相談しに行こうとさそいましたが、行く様子はありません。母親だけの相談です。この頃から朝の戦い?がはじまりました。
母 「時間よー起きなさい!」
息子は動きません。声をかけると耳をふさぐような素振りをします。登校時間の10分前になって
息子「もうこんな時間やったら、あかん」
息子のイライラした様子をみかねて
母 「送っていこうか?」
息子「そうして」学校のそばまで車で送り、降りる間際になって
息子「箸忘れた。どうしよう。」
母 「割り箸やったらあるよ。これ持っていきな」
息子「割り箸はあかんねん。あーもう」イライラしたままあきらめて学校へ行きました。

今までなら、朝行かないのなら仕方ないとあっさりと考えていましたが、そうも言ってられない状況になってきました。
まだ親は何故行きたくないのか、学校でどんなことがあったのか全くわかりませんでした。息子は次の日、朝爆発しました。

  

五月雨登校②

息子は朝5時前から起きてきました。
ああ 今日は起きれたんだ と喜んだのもつかのま、又寝てしまいます。いつもの時間にもう一度起こしましたが、やはり起きてきません
「いったいどうするつもりなん?」
「学校はどうするの?」
「学校はいかないとダメやろ!」この日はかなり強く登校を促しました。

その結果・・・息子はパニックを起こし2階の出窓から飛び降りようとしました。
黙って見ていると、
息子「死んでもいいんや!」
母 「飛び降りるんやったら飛び降り!そのかわり後始末はしたる。どうでもいい子やったら学校休んで家に居るように言う。
そうやないから言ってるんや!
学校で嫌なことがあってもいいやんか。家帰ってきてからゆっくりしたらいいねん。あんたが学校つらいのは、お父さんとお母さんのせいだと思ってる」

息子は泣きながら、そんなことないというように首を振っていました。

後で考えると、私はかなりむちゃくちゃなことを言っていました。その時はとにかくここが正念場だ と思い必死でした。息子の足元にはゲームがおいてあり、それを踏まないようにしているのをみて、大丈夫だと思った記憶があります。

この日は、このあと息子はトイレに入ってしまい登校しませんでした。私が出勤しようとすると窓から顔を出し、
息子「今日は何時に帰るのー。お昼なに食べたらいいん?」

私は腹がたって「あるもん食べとき!」

通勤の車の中では、悲しくて前がよく見えませんでした。この翌日は登校し、そのあとの定期テストは受けました。
6月は欠席10日でした。

  

中学校との話しあい
中学校から一度ご両親と相談したいとの連絡がありました。
夕方、父・母で中学校へ行きました。
学校側は、教頭・担任・国語担当・英語担当の先生方です

この時点で親は原因は何だろうと思うばかりで、どうすればいいのか見当もつきません。
でもまだ軽く考えていました

先生方からのお話は

 授業中にパニックを起こすことがある
 都合の悪いことに耳をふさぐジェスチャーをする
 嫌なことはやりたくない
 『がんばれ!』も悪口に聞こえる
 隣の席の子が、「今ここやってるよ」と教えてくれても「うるさい」「だまれ」などと言う
 『〜しなさい』と言われると拒絶反応をおこす

先生方もどう対処すれば良いかわからず今回の相談となったようでした

これからどうすれば良いのか、どう対応すれば良いのか。
これが先生方が一番知りたいことだったのだと思います。
 何がしんどくて
 何をしたらいいか?

子ども家庭センター(公立)での相談をすすめられました。
親の私たちも、何も手立てがなくお願いしました。

この時期は悲しいばかりで、息子のことを話すと条件反射のように涙がでて、冷静には話せませんでした。
でも息子が一番つらかったのだと思います

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