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- 我が家の不登校の軌跡(中学生の息子)
我が家の不登校の様子を、他ブログに残していたのを、少しずつコチラのブログへ移しています。
中1も終わりに近づいた頃、適応指導教室に行ってはいましたが、とても登校できると思えない状況でした。
そんな中、懇談があり、親も腹をくくって息子と話し合いをもちました。
中2の新学期に向けて準備を始めた頃です。
適応指導教室の懇談
3月26日
中1も終わりに近づき、適応指導教室で懇談がありました。先生と親の2者です。
親のほうから3つのことを聞きました
「ここでの様子はどうですか?楽しそうにしているのでしょうか?」
「行ったかどうかわからないのですが、どうすればよいですか?」
「先週はお腹が痛いといって行けませんでした。何か心あたりはありますか?」
先生から息子の様子を伺いました。
「パズルを集中してやっています。『うの』をみんなで楽しそうにしてます。
「でも、ここへ行くように言われたから来ているようで、楽しいから来ているのではないかもしれません」
「まだ来たり来なかったりで定着していない様子です。本人との懇談で、始業式には行くようにいいました。ここの性格上始業式からこちらへはできないんです。行ってみてやっぱりダメだったら、くることになるのですが」
「本人も高校には行きたいと言っていますが、積極的な返事ではなかったです」
「お母さんからもぜひ始業式に行くように言ってあげてください」
息子本人と懇談をされたようです。
その時に終業式・始業式の話をして誘われたらしいのですが、それが苦しく先週の腹痛になったのでしょうか。
本人も悩んでいる様子があります
母 「2年生になったらどうするの?」
息子「そろそろ行かなあかんなぁ」
母 「終業式はどうするの?」
息子「悩んでるねん」
先生は「始業式に行くように」とさらりと言われましたが、本人にこの話をするのは、すごく怖いのです。又失敗して今よりひどい状態(体調・機嫌)にならないか不安です。
でも今の状態が一番良いとも思えません。
親として逃げるわけにはいかないのかもしれません。始業式は行く方向で本人に話しをしようと思います。
『やっぱり無理だった』でも問いかけは必要かもしれません。
この時私の中では4月からもここへ来るのであれば週3日の約束を少し増やさないといけないかもと思っていました。だって、息子が話を聞いて学校へ行くとは思えなかったのです。
中2始業式に向けて自力復学を準備
3月30日
適応指導教室の先生の勧めもあったため、息子と今一度向き合いました。
趣旨は学年が変わる4月の始業式に行くことです。
又この日行けなければ担任・クラスも変わっているためもう学校へ行くことは難しいと思いました。どのように話をすればよいのか息子も適応指導教室の先生から言われたこともあり、自分でも何とかしなくてはという思いもあったようです。
「始業式いってみるわ」 という息子の言葉が確認できました。でもそれを鵜呑みにして何もせず待つには1年近い不登校の月日はあまりにも長く安心できません。
きっと息子の気持ちもいろいろ心配なことが多すぎて、具体的には考えられないのだと思います。今まで読んだ本の中に再登校にむけての準備がかかれた本があり、素人ながら参考にしてみることにします。
以下のようなプリントを作り、息子に○をつけてもらいました。
【学校について】
制服(サイズ) 着れる ・着れない
持ち物 わかる ・わからない
名札 ある ・ない
上履き はける ・はけない
靴箱の位置 わかる ・わからない
体育館シューズ はける ・はけない
一年時の注文品
教室の席 わかる ・わからない
給食の当番の仕事 わかる ・わからない
トイレの場所 わかる ・わからない
登校 一人で行く ・ 友達と行く ・ 車で送る
クラブ やめる ・ もう一度したい ・わからない
【心配事】
休んでいたことを友達に何といわれるか 心配 ・気にしない
聞かれた時に何と答えるか ( )
クラスのみんなに不登校してたと思われる 心配 ・気にしない ・わからない
休んでいたことを先生に何かいわれる 心配 ・気にしない ・わからない
家で何をしてたか聞かれる かまわない ・いや
【授業】
勉強がわからない 心配 ・気にしない
宿題がわからない 心配 ・気にしない
宿題ができていないと 学校へ行きにくい ・気にしない
授業時間中座っていられるか 心配 ・気にしない ・大丈夫
授業中あてられたら かまわない ・いや
わからない事を友達に聞けるか 聞ける ・ 聞けない ・わからない
教室移動の場所 わかる ・わからない
音楽の楽器
国語の漢字 心配 ・気にしない
国語の作文が書けない 心配 ・気にしない ・書ける
体育 心配 ・気にしない
マラソンについていけるか
一番気になる(心配)なことは? ( )
このプリントは、言葉で説明するよりよいのではと思ったのです。
今から思えば全くの素人考えでお恥ずかしい限りです。でもこの時に一番良いと思ったことをしました。
又この自分でやって失敗した経験がなければ支援をお願いする所まで考えなかったかもしれません。
この次に今までの担任の先生に連絡をとりました。
もちろん来年は違う先生かもしれません。でもまだこの時点では息子の担任なのだからという気持ちで、始業式に登校できるよう助力をお願いしました。
学校との打ち合わせ
学校との打ち合わせをお願いしました。
学校側は1年時の担任の先生・新2年生の学年主任の先生・特別支援担当の先生方です。
この日息子は久しぶりに制服を着ました。やはり上下ともきつくて無理があるようです。無理やりに制服を着せ、学校へ向かいます。
しかし息子は学校へ行くことが嫌なのではなく、制服がきついことでイライラしていました。先生方にあうなり制服の文句が口からでます。
特別支援の先生が気をきかせてくださり、リユースの制度(卒業生のいらなくなった制服の再利用)で学校にあるサイズの大きい制服を探すため息子を別室に連れていってくださいました。
思春期にさしかかっているため、息子ヌキで話したいこともあったのでとても助かりました。
息子に○をつけさせたプリント(3月30日記事)を先生方にみていただきます。
やはり、何と聞かれるかが一番心配なようです。又勉強のことも気になっているようでした。
そしてもう一枚この日は先生方に見ていただく資料として、今までの経過を記したものを渡しました。
言い忘れがないように。聞き忘れがないように。そして先生方に息子が学校にもう一度くる決心をしたことがどんなに大変だったかを知ってもらいたい一心でした。
長文で読みにくいのですが、学校の先生に宛てて書いたものです。
7月から学校へ行けなくなりました。
当初は親もかなり強く登校を促したのですが、本人は朝起きないことで気持ち表していたようです。
9月に『市の適応指導教室』に4日間行きましたが、女子ばかりだったためかその後通えていません。
その後は親もそっとしておこうという気持ちが強かったため、家でゲーム・パソコンの毎日でした。
1月末に家で楽しそうにしているのをみていると、このままではいけないと思い無理やり私立のフリースクールなどを見に行ったのですが、それなら本人が『市のフリースクール』 がいいと言ったため2月より週3回行く約束をしました。
2月・3月2ヶ月間ここへ行きましたが、そこが楽しくて行っていたというより、約束したからといった様子でした。
息子に始業式に行くように言ったところ、適応指導教室の先生のお話もあってか、がんばって行ってみるとの言葉が聞けました。しかしまだどうなるかわからない状態です。
「何故不登校になったか?」これは、本人もわからないようです。
一度医師には「いじめられたから」 と言っていましたが、親の目からみてそれだけではなかったようです。
①まわりの友達とのコミュニケーションのとり方がわからず、小学校の時はなんとかできていたのが中学生になり、まわりの友達が成長してくるにしたがって息子の少し足らない所が表面化したのではないか。又息子の話し方もぼそぼそと低い声でしゃべるため聞き取りにくい点もある。
②持ち物・宿題を忘れることで早く行かなければならないのに朝おきられない。
③膝の病気によってクラブ・体育についていけなかった。
④親もついレールをひいてしまうような言い方をしていた。仕事優先の考え方になっていた。
まだまだあるかもしれませんが、これらも原因かと思います。
学校へはもう行けないものと親も考えていました。行かなくてもよいと考えた時期もありますが、息子の場合は、人間関係の経験値が足りなく、小学校6年生で止まっているように思えます。これは家にいても改善されるものではありません。
適応指導教室でお世話になって、高校でがんばる方法もありますが、中学校3年間普通に学校に通えなければ、高校に入っても通学し続けること難しいでしょう。そうなると、中途退学となり、家でひきこもる可能性が高い。
それならば、今の時期に本人がいやがっても押し出す方がよいのではないかと考えます。
無理やり行かせることは、本人にとってはつらい・嫌なことだと思います。しかし年度が変わるこの時期はすべて白紙となる時期でもあるため一度トライしてみてはと思いました。
息子は、学校というものに嫌なイメージをもっているのではと思います。
朝起きた時、行かなければと思う気持ちと嫌な気持ちがあり、嫌な気持ちが大きいと迷ってしまい、学校の時間にまにあわなくなって休むことを繰り返していたのではないでしょうか。
最初は学校に行くだけでよしとしたらどうかと考えています。通い続けることができるようになり、楽しいことが少しずつでも増えてくれば勉強にも気持ちがむくのではないでしょうか。
息子の場合、1度あたりまえであった学校へ行くことができないでいました。休むことによって嫌なことから逃れた経験をしています。
これは、他の子供さんより休むことに対するハードルが低くなっていると思います。
適応指導教室の先生には、高校へ行きたいようなことを言っていました。
高校へ行くには、又やりたいことをするには勉強をがんばらないといけないと普通は考えます。しかし息子の場合は、学校へ来ていること=がんばっている証拠と評価してほしいと思います。
3年間学校へいけない道を歩いていた子が、2年生から学校へいくことができればすごいことだと思います。
今は学校で友達とのかかわりの楽しさを思い出してほしいと考えています。
まだまだどうなるかわかりませんが、どうぞよろしくお願いします。
先生とのお話がほぼ終わったころ、息子が部屋へ戻ってきました。ちょうどあうサイズの上着があったようです。
息子も交えて先生との話し合いをし、始業式当日の確認事項など色々伺いました
担任の先生から「みんなに話してもいい?」と聞かれ、息子の返事は「いいけど、あまり過保護もイヤ」となかなか複雑です。
学校からの帰りには、息子に笑顔も出ており息子の成長が感じられました。
中1 3月その2
中2の始業式直前のことです。
この日は私の母(息子の祖母)の所(車で60㎞程度の距離)へ息子の制服のズボンを直しに行きました。
息子の「始業式行ってみる」という言葉を受けて、準備を始めましたが、一番問題だったのが制服のサイズ直しです。
日にちがなく、制服業者やリフォーム店にも問い合わせましたが、とても間に合いません。そこで祖母のところへ頼みに行きました。
息子は不登校中に体重が増加し、ウエストサイズも10㎝以上増えました。
祖母も心配しており、がんばって直してくれました。この他にも、担任の先生に問い合わせて、体操服や上履きなど無事に行くことができるよう、できるだけの準備をしてやりたいと思いました。
最後に
中2の始業式直前の時期です。
家で「楽しい不登校」になっているように思えて、自力で復学を目指しました。
この時は独学での再登校だったため、今からみると綱渡り的な要素がいっぱいです。
なんといっても、まだまだ息子自身の覚悟が足りないことが見てとれます。あくまでも親に言われたから、やってみるという息子の心境だったのかもしれません。
そして、親は何も悪くないという意識が変わっていなかったことも大きな問題点でしょうか。
親主導の復学は、やっぱりうまくいかなかったです。その様子は又次回へ。