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- 我が家の不登校の軌跡(中学生の息子)
中1の6月から不登校だった息子が、中2の始業式に向けて準備をし、始業式を迎えました。
準備の様子はコチラの記事
中2の始業式から、翌週までの間の様子です。
中学2年 始業式(再登校初日)
中学2年の始業式の日です。朝7時に起こしますが起きません。
8時までに家を出ないと間に合いません。
7時半にもう一度おこします。やっと起きて着替えはじめます
7時55分に息子が家をでました。
10か月ぶりの登校です。あれだけの準備でやっとという感じでした。
この時は、「再登校できたんだ」という喜びよりも、本当に大丈夫なのかという心配の方が大きかったです。
12時頃 息子が帰ってきました。
息子「暑いー」
つらそうな表情はありませんでした。
母 「学校どうだった?」
息子「座っているのがしんどかった」
「ご飯食べたら、○○くんの家に遊びに行ってくるわ!」
そんなに最初からとばして大丈夫かと心配になります。
自力再登校のハードル(再登校2日目)
朝起こしますが起きません。
やはりという気持ちが半分、行ってほしい気持ち半分というところです。
この日はしんどい様子で結局学校は休むことにしました。朝の表情を見ていると、あまり押し出してもいけないのかと悩みます。
私は仕事がありますので、息子に「夜帰ったら話しを聞かせてね」といって出勤しました。
夜帰宅すると、息子は部屋で寝ていました。
母 「昨日(学校行った日)と今日(休んだ日)どっちがよかった?」
息子「昨日の方がいい」
母 「 昨日学校へ行った時何が一番つらかった?」
息子「ずっと座っていること」
母 「 昨日の中で何が一番楽しかった?」
息子「 久しぶりに友達と遊んだこと」
母 「しんどいのはもう大丈夫?」
息子「大丈夫。ちょっとは気分のせいかも」
この時はいったいどうやって息子に気持ちをき聞けばいいのかとても悩みました。けれどこれからのことを考えるとほっとくわけにもいきません。
息子の最後の言葉を聞いて少し安心しました。
再登校2日目は欠席です。
自力再登校のハードルその2(再登校3日目)
4月10日(木)
7時に起こしますが起きません。7時半になってやっと起きました。
しかしヨーグルト1個だけ食べて家を出て学校へ行きました。
息子は無言です。
4月11日(金)
7時に起こしますが起きません。
7時半になり、つきっきりで起こしますが起きようとしません。
表情がとてもつらそうです。
結局この日は行くことができませんでした。
頭がぼーっとするというので、朝1番で耳鼻科へ。息子は『稲科の雑草』でアレルギー性鼻炎を持っています。毎年6月頃まで症状がでます。この日も診察と薬をもらいました。
4月14日(月)から授業が始まります。息子もやはり心配な様子です。
- 1週間がんばって行って、つらい教科だけ対策を考えるべきなのか
- 1週間で3日・4日と行く日を決めたほうがよいのか
- 学校・適応指導教室・病院と選ばせればよいのか
→適応指導教室へ流れてしまいそうです - 朝どうすればよいのか
行っても行かなくて迷います。
再登校3日目は登校、4日目は欠席です。
自力再登校のハードルその3
4月14日(月)
朝7時10分に起こしますが起きません。
10分後にもう一度起こしますがやっぱり起きません。
息子はとてもしんどそうな様子をしています。息子も頭ではわかっていても、体がいうことをきかないのでしょうか。
8時10分頃、息子はトイレへ入ってしまいました。
1時間後、トイレから出てきました。
母 「今週は遅れてでも・ちょっとでも学校へ行ったほうがいいよ」
息子「・・・・・」
つらそうな表情はしていますが、あまり反発はありません
母 「昼(5時間目)から学校へ行ったら」
息子「顔だけ見せて帰る」
母 「学校はそれではダメだよ」
息子「・・・昼から行くわ」
車で息子を中学校まで送っていきました。
ちょうど正門で特別支援の先生とお会いしたので、息子のことをお願いして私は仕事へ行きました。
何が正解で、どうすればいいのか、答がみつかりません。
今週は1時間だけからでも学校へ行かせたい
休み始めると、いやな気持ちが大きくなってくるのでは?
来週は無理強いをやめるべきか?
朝は本当にしんどい・お腹が痛い様子で、この症状をどうしたらいいのか?
再登校5日目は遅刻で登校です。
自力登校の限界(再登校6日目)
4月15日(火)
朝起こしますが起きません。
息子「・・・しんどい」
母 「 病院へ行こうか?」
息子「うん」
母 「病院のあと、1時間だけでもいいから学校へ行きなさい」
息子「 ・・・・」
8時半頃、息子に用意ができたかどうか声をかけます
息子「ちょっとくらい待たれへんのか!」
怒ってイライラしてる様子です。
さっさと私服に着替えて、玄関へ向かいます。
母 「 もう準備できたの?」
息子「お母さんが行くって言ったんやろ!」
かかりつけの胃腸内科へ行きました。少し風邪の引き始めのようです。
息子ヌキで医師に不登校による症状の話をしました。今後又お世話になるかもしれません
家に戻り朝ごはんを食べます。
息子に学校へ今からでも行くように促しました。息子はトイレに入ってしんどそうにしています
母 「 3時間目か4時間目どちらか行きなさい」
息子「 どっちでもいいよ」
母 「 じゃあ、3時間目に行く?送っていくよ」
息子「自分で行く」
息子は制服に着替えて、自分で行くからと言って家から出て行きました。
私は学校へ連絡をとるべきかと悩んでいると、息子が戻ってきました。玄関に入ると泣き叫んでいました。
息子「 もう嫌や!」
息子「 後から行くのが嫌や。昨日も言われた。もうどうなってもいいから、ほっといてくれ!」
強く押していた分、反動が出たのでしょうか。
この時の息子の様子をみて、もう今までの方法ではダメだと思い知らされました。
息子は部屋にこもって泣いていました。
私は以前、電話で相談した不登校自立支援センターへ電話しました。この時、もう私にできることはないという思いで一杯でした。
あいにくこの時は藤本先生がでられず、夕方4時にもう一度電話するようにいわれました。
息子を追いかけて、部屋で話をしました。
息子は遅れて学校へ行くくらいなら1時間目から6時間目まで行くほうがいいと言っています。やはり学校で友達に何か言われたのでしょうか。息子の様子は大分落ち着いたようでした。
この後、私は仕事へ行きますがなかなか仕事が手につきません。
夕方4時にもう一度不登校自立支援センターへ電話しました。藤本先生がでられ、始業式からの経過を相談しました。
息子が始業式に行ったことを話すと、特殊な例と驚かれていました。
「学校へ行けるのなら、毎日行けるはず。朝無理やり起こさないとダメなのは、行く気がないからですよ。 あまり、無理に学校へ行ったり行かなかったりするとクラスの雰囲気が悪くなって『あいつなんや!』と思われるので、今は無理に行かさないほうがいいです」と教えてもらいました。
このあとカウンセリングの予約を4月22日にお願いしました。
先生から「 カウンセリングまではそっとしておくように」といわれました。
仕事から家へ戻り、息子に話をしました。
母 「 これから方針をかえようと思う。学校へ行くのなら自分で7時に起きて行きなさい」
息子「 わかった」
逆もどり
4月16日(水)
朝7時に息子は自分で起きてきました。しかし、そのあとソファで寝てしまいます。
7時半にもう一度声をかけますが動こうとしません。
この日はあまりうるさく言わず、出勤しました。
4月17日(木)
この日朝7時から30分おきに起こしますが起きません。
起きる様子がないため、そのままにして出勤します。
4月18日(金)
この日も息子は起きません。
本人は昼間ゲームとパソコンで1日すごしているようです。
塾も行っていません。
様子をみるようにと藤本先生に言われたので、何も言いませんが、朝は起きない・1日かってにすごしている・塾も行っていないという状況では、こちらが我慢できなくなり、息子につらくあたってしまいそうになります。
食事中に食べ方や昼食のことで注意すると、「もう食べへん(食べない)よ」と言って部屋へもどってしまいました。
しかし少し時間をおくと、又いつもどおりの様子でパソコンをしています。
逆戻りその2
4月19日(土)
朝起きません。
この日は前日に買いたいものがあると言っていたので、無理やり起こしました。
夜は12時頃に寝ていると言っています。
もっとはやく寝ないとダメなんじゃないのと聞くと薬(アレルギー性鼻炎)のせいといいます。昼食とCDの代金として1000円渡しました。
休みの日は比較的すんなりと起きます。本人も多少気にしているのでしょうか。
4月21日(月)
朝7時から30分おきに起こしますが起きません。そのままにして、私は出勤しました。
息子が何時に起きたのかわかりません。息子は多少イライラしているようです。
このところ朝起きずに昼頃におきているようです。そうすると食事時間もずれてきています。
13時から14時 朝・昼兼用の食事を摂る
夕方18時頃 お腹がすいて御飯だけ食べる。
夕食20時 お腹がすかないといって、食卓にはつきますが不機嫌な様子です
夜中1時2時 お腹がすいて何かたべます。
夜中の3時頃に寝ています。
振り返って
自力での始業式の登校は出来た物の、その後が続かず結局は失敗に終わりました。
まだまだ、息子自身が「納得して学校へ行きたい」と思ったわけでなく「行かなければならない」と思った結果なのかと思います。
親も、どこまで手伝えばいいのかわからず、ついつい先回りしています。
1日だけ登校するのは簡単でも、学校に登校しクラスの中で6時間過ごすという高い壁はこの時には越えることができませんでした。